ともながのブログ

こんにちは

夏の終わり 将来の夢 大きな希望 忘れた

ブログタイトルが終わってる。

 

そういえばアトリエを持ちました。

廃れた商店街にある、2階建てのシャッター付き物件に引越しました。

一階が土間になっていて、12畳ほどあります。おかげで制作は捗ってますが、この時期は暑すぎて、日中は制作どころじゃないです。

夜も扇風機がないとじっとり汗をかくような感じです。夏ってこんなに辛かったっけ...
そう、夏が辛すぎるって話をしたいんですよね。このブログでも数年前にそんなようなこと書いた記憶があるけど、やっぱり俺、夏が嫌いになってると思う。

記憶の中の夏が好きだけど、今の夏と面と向かって勝負しろと言われたら逃げ出すしかない。

 

商店街に住んでから約2ヶ月ちょい

日中やってる店はちらほらあるし、人出も窓を開けるたびに通行人を見るけど、盛り上がっているという感じではない。そもそも商店街に「盛り上がり」というイメージや期待を寄せてしまうのは、傲慢なんだろうか。

なんだか布団の中でモゾモゾしているという感じがする。布団の中は気持ちいいんだけど、これでいいのかと悩み蠢く感じ。いや、カフェが12月完成予定だったり、アトリエの横の物件もラーメン屋を開きそうだったり、80mくらい離れたテナントで和食店の開業準備中だったり、これからだぞという予感は感じさせるのだけど、、、。

とにかく、商店街にはまだ介入できない。部外者である感を拭えずに、ただ観察者になっている。

 

そういえば近所の老夫婦が熱中症で亡くなっていたらしい。エアコンが付いていなくて、死後数日経過していたということで全国ニュースになっていた。

発見される前日にもその家の前を通ったけれど、壁を隔てた向こうでは二人が死んでいたんだなと、悲しいというよりは奇妙な気持ちになる。壁ってなんなんだろう。隣人とだって、壁一枚あるだけで、体同士は30cmも離れていないことだってあるかもしれない。

ニュースを見た翌日にその家の前を通ったら、大きな花束が供えてあった。

 

なんだか暗い雰囲気の話ばかりだったけど、制作は割と捗っています。。

働いていないから捗らせないとダメだろという強迫観念も手伝ってのことだと思いますが。

絵を描くことは、もはやライフワーク的に自然と続けているけど、自然すぎて「なにもしていない」感があります。なので変に焦っている。動画撮ったり、立体を作ったり、それこそお金を生み出したりしないと、、、みたいな超漠然とした焦りがあって、でも漠然としてるから具体的な展望は見えず結局気がついたら絵を描いているという毎日。

森で迷子になっているのに径はあるからとりあえず進む、みたいな感じになっている。

 

 

 

119日ぶりのブログ ニート継続

ニートは継続中です。絵は描いてるし、家事もやってます。それでなんとか勘弁してほしいところ。

最近は仕事をしていないことに、友達から苦言を呈されるようになってきました。みんなそんな深刻には言ってきませんが、まあ本心は言ってるよって感じは受けます。

ネットで「レジャー(余暇)」について調べていたら、資本主義社会でのアクティブレジャーは肯定的に見られ、たとえ余暇であっても「なにもしない」ことは「怠惰」と見做されるらしいです。そして「怠惰」は、すっかり忘れていたのですが七つの大罪の内の一つでした。

 

俺は今、七つの大罪の一つを犯しています。

(金を生み出さずに)絵を描くことも、(金を生み出さずに)家事をすることも、資本主義界では大罪なのでした。。

 

3年ぶりの更新

ネットでブログを見ていると、5年前が最終更新だったり、2年前に更新した記事のタイトルが「4年ぶりの更新」だったりして、なんだか寂しさと虚しさを抱えていたのですが、自分のブログがまさにそんな感じになってしまいました。

ニートをしながら絵を描いてるんですが、彼女が働いているのでヒモです。ヒモをしながら絵を描くのは、申し訳なさがやばいです。

その分家のことは一生懸命やってますが、自分の性格上きっちりとは行きません。

クレーも太田光も、こんな悶々とした日々を過ごしていたのかなぁと想像を膨らませて日々過ごしていますが、虚しいです。

どうせ働くことになるから...と自分に言い聞かせてますね。

絵の中

川の中はなぜ川の中なのか

へこみに水が流れて、その中に様々な生態系が棲み、独自の世界を形成している。水がなかったらただの地面だけど、水かさと広がりの分だけ世界が広がっているかのような印象になる。

空も川も森も、人間は一つの世界みたいにみることができる。

絵の中もそれに似てるにではないかと思う。特に自分の絵は。

マツダスーパー銭湯

2/1は打ち合わせをしました。

なんのって、小学校の図工の先生と授業の打ち合わせです。

卒展を見にきてくれた小学校の図工の先生が僕の作品を偉く気に入り、作品を小学生に見せませんかというお話を持ち出してくれたのです。

面白そうだし自分にとってもいいことありそうなので携わることになりました。

立川駅前のルノワールで打ち合わせをしましたが、なんだか社会人っぽいことをしているなと思いテンションが上がり、「なんかオフ会みたいでいいですね」とか舐めたことを言ってしまった。

ああ、その発想はなかったですね...と引き気味に言われてしまった。


打ち合わせは順調に終わったんで、帰りに世界堂に寄ったよ。

無駄に絵具をいっぱい買ってしまった。マツダスーパーのコバルトグリーン系が気になっていたので買った。なんかマツダスーパーのチューブイカしてるんだよね。クサカベホルベインと比べたら、チューブの外観だけで買ってしまう。

実際色もすごいいい〜...と思う。いや実際は一長一短だと思いますね。それぞれのメーカーでいい色は違うね。ホルベインのコバルトターコイズはすげぇ色だし、マツダスーパーのカドミウムイエローレモンやコバルトグリーンも面白い色だね〜。

ホルベインカドミウムマルーンもいい!クサカベのパーマネントグリーンライトとかカドミウムレッドパープルもグッド。

いい絵具を買いすぎると、絵が絵具を使いたい欲に負けて破綻することが多い。せっかく買ったこの色ふんだんに使おう〜っていうのをいっぱいやってるとダメですね。もっとこの色ベタベタ使いたいのに、結局ここの差し色くらいか...でも絵は良くなったな...ってパターン。


画材の話でやたらフェチっぽく熱っぽく喋る人の印象があまり良くないので、あんまりしないんですけど結構フェチはありますね。

おかげさまで

前回の更新から75日、物件探しと卒制に追われ、物件の確実な目処こそ付いていないものの探し方のノウハウは身につき、卒制も無事に審査が終わり明日から卒展が始まります。

おかげさまでネットの広告は物件情報だらけになり、ここ数日は忙しくてゆっくりしてる暇もなく卒展を迎えてしまった。

うちの大学は一応卒制に対する賞があるのだが、本当にいらない制度だと思う。比較とか競争社会の下層に生息していて、それが嫌で絵を描いているところもあるのに、結局はこういう評価と対峙しなきゃいけないのかと思う。

公募展もなければいいと思う。表現に少数の人間が優劣をつける意味がよくわからない。

人前で話す時はこんなこと言わないが、まあ賞を貰えなかった人間はこう考えるもんだ。

なけりゃいいのにと思ってるだけだから、「そんなこと言うな」とは言わないでほしい...

 

 

 

満員電車で人が多いときはあまり愉快ではないし、腹が立つこともある。でもそこで自分は腹を立てないはずなのではないか。余裕があるように見せかけて切羽詰まってるじゃないか。でも絵画では切羽詰まらなく楽しめる。そこの矛盾が絵画の軽快さや愉快さにつながっているように思う。

切羽詰まっているからこそ、それなりに遊戯感ある作品が出てくるのだ。そして作品が出来上がって、展示を迎えたときにはもう一度葛藤が襲う。切羽詰っちゃう。

アンネの日記の著者、アンネフランクは遠い場所の遠い歴史の人だ。だが親密に感じ取れるのはなぜだろう。いや一般的に言う、友達関係のような親密さとは違う。こういう感覚を持っている人は自分以外にもたくさんいると思う。幻肢痛みたいな作用が働いている気がする。それが自分の中に他人が入り込んでくる感覚なのかな〜。そう言っていいのかはわかんない。

そういえばさっき玉音放送YouTubeで聞いた。75年前に放送され、国民が色んな思いで聞いた放送。75年後に23歳の俺がYouTube玉音放送を聞くギャップはなんなんだろう。起立も正座もせず、あぐらをかいてコーヒーを飲みながら聞いていた。そんなもんだと思う。

でもそこに親密さは感じない。すごい状況だったんだなと、ある種今と昔という時間上の断裂が激しい。アンネと玉音放送の違いは何か。大きな物語と小さな物語の違いだろうか。そんな気もする。個人から見た、個人から垣間見える同時代性と歴史、そこに個人としての自分が様々なものを重ね合わせ体感する。「追体験」というのではないと思うけど。

つまり、距離は誤解と乖離を生む。が、シリアスに物事を考えさせてくれるための要素でもある。

現在進行形で、不可逆的に時間が流れ歴史との距離を離している。ビッグバンが起きて宇宙がずっと膨張しているみたいに。

 

葛藤や矛盾も含めた、自分自身が生きているリアリティは確実に定着しているのだけど、それがなんなのだというのだろう。

今の時代、社会のありようやリアリティに対して思っていることは、言葉を使ったり、振り切って物議を醸す作品を作った方が手っ取り早いだろう。いわば表現主義的な要素選びのペインティングで、今の早さに対応することは不可能じゃないか。今スローメディアだからこそ成し得ることもある、と言うが、スローであることを受け入れて制作している人間がどれだけいるか。みんな焦っている気がする。今の時代の追っかけだ。

出てくるモチーフも社会的なものが多い。社会的なモチーフにカウンター的な牧歌的で画面を持たせるだけの記号をのほほんと使う例もよく見る。生き急いでペインティングで今の時流を掴んで、社会においてどういう効力を持つのだろう。社会における効力を意識していないのならそれでもいいが、しばしばペインティングでその効力を発揮しようとしている状況を見る。何を言ってるかよくわかってもらえなさそうだけど....散文だから...

この戯事も、時間が経ったらお前もわかるみたいな感じで宥められてしまうのかな〜。お前は未熟だからわかってね〜んだ的な。そういうのあるよね

まさかの

まさかまさかの1年ブログを放置という、ブロガーにとってあるまじき失態を犯してしまいました。

まあ、予想はしてました。言い訳っぽいですけど1年ぶりに思い出して更新しただけでもすごいんですよ。自分にしてみれば。


1年放置しておいていきなり突っ込んだ話をするのもおかしいので、ちゃんとした記事はまた次回。

最近はまあ物件探しと卒制に追われています。

卒制はわかるとして、なんでこの時期に物件探してるんだっていうと、立ち退き要求をされたからです。こっちの不備じゃなくて、建物の老朽化とかが理由でね。

正直めんどくさいです。制作は忙しいし、不動産屋とのやりとりも想像以上にめんどい。現行の賃貸契約システムアップデートされてくれ!


今布団でブログを書いてますが、手が疲れてきたので終わります。

ちゃんと更新するようにします。絶対。

また次回。