こんにちは。今から出かけないといけないのですが思い出してブログを書いてます。そんな時間の余裕はない。
前回は猫のあめちゃんが来たという記事を書きましたが、あめちゃんはすくすく育って2歳になってます!
見た目は大人っぽくなっているが、中身はやんちゃで逆コナン!
一旦下書きに保存します。
また書き始める。前回のブログ以降、吉報といえば個展が決まったこと。
7/11から7/23まで、展示をすることになったんですが、なにしろ4年ぶりなので緊張。でも作品に自信はあるんで無問題。
悩ましいのが、ステートメントですよね。言いたいこと書きたいことが多すぎて。。再三主張しますがなにしろ4年間色々考えてきたんでね、なかなかまとめらんないんです。
「この4年間」みたいなことをそもそも書いちゃうのか、私情スルーでもう少しクールに、フォーマリスティックな文章にするのか、はたまた世相と結びつけてしまうのか、それとも全部統合させるのか.....難しい!
作品に出てくる彫像というかフィギュアというかオブジェ(このオブジェという言葉も慎重に扱わなければいけない)について、俺が体感してきた文化的なバッグボーンと絡めて話そうかという気持ちではいる。
例えばゲームのバグやグリッヂ、レイヤーの前後関係の破綻など色々結びつくことはあるんだけど、そういう既存の現象とあまりにも対応させちゃうとそれはそれで説明的すぎるか?と思ったりもしてまして。
ちょうど今日(2026/05/15)考えてることは、「置く」ということについてですね。最近の自分の絵は「置く」感覚を楽しみながら作ってる節があって、そりゃ写実的ないわゆる卓上静物画だって、「描いて置く」みたいなもんなんだけど、やっぱりオレは、「置く」ことで画面に接しているという感覚が前面化している気がする。
その感覚は、物心ついた時から操作可能な平面としてのディスプレイがあったことに由来するんじゃないかと思っている。
運動主体としての自分の身体があり、ボタンを押せばディスプレイの世界が操作できるという、感覚の拡張が気持ちいい。自分の身体が二次元に入らんでも、操作できてるだけで満足するのよね。
ここで下書き。。
今5/31ですが、まだ個展タイトルもステートメントも全然決まっておりません。。
もうとりあえずこのブログも公開しとこう。せめてブログだけでも。。